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[岩橋]掛川市伊達方/本所

本所交差点から本村橋交差点まで2kmほどの間は、東海道が国道一号線と合流しているため、街道添いに旧跡はあまり見られません。
本所の道標から250mほど西に逆川の小さな支流に架かる岩橋があります。この橋が伊達方と本所の境となっています。橋は昭和27年建立のコンクリート橋で、北へ上る川沿いの細い道は、原子の集落へと続いています。

岩橋
岩橋

[秋葉常夜燈]掛川市本所

岩橋を渡り、東海道(現国道一号線)を西へ400mほど進んだ北側に真新しい秋葉常夜燈があります。敷地内には古い常夜燈の石片らしきものが置かれており、古くからあった場所に建て直したものと思われます。

本所秋葉常夜燈
本所の秋葉常夜燈

[鞍骨の池]掛川市逆川(池下)

本所から1kmほど西、千羽交差点を左折した突き当たりに「鞍骨池」があります。鞍骨池は変四角形をした比較的大きな池で、昔はこの二倍の広さがあったのを大正期に埋土して田畑にしたとのことで、今も池の南側には水田が広がっています。 鞍骨池には戦国時代の武将堀越入道にまつわる伝説があり、『掛川誌稿』や石川依平『柳園雑記』にその伝説について記されています。

 
 

鞍骨池の伝説

今から600年余り昔、今川義忠は領土を回復すべく遠江に侵入を計り堀越入道守貞延を総大将として数千の連合軍を従え横地(菊川町)勝間田(榛原郡)の本拠を進撃しましたが、ついに横地勝間田軍に伊達方海老名公文名の陰路に引き入れられ壊滅的打撃を受け大将貞延は牛頭村で討れこの池に埋められました。いつしか鞍骨の池と呼ばれ現在に至りました。牛頭の山崎信平氏が宮前堀越様として小祠を建立し、毎年部落で奉りしています。( 東山口地区 地域作り会・看板を参考)

 

関連リンク

●昔ばなし「鞍骨の池」

鞍骨池
若宮大権現
鞍骨地図
鞍骨の周辺地図

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