You are here: TOPPAGE古今旅集お茶街道の旅長光寺-芭蕉の句碑  
タイトル  

[長光寺]金谷町金谷

旧東海道は金谷の一里塚から南に向かってJR金谷駅のガードをくぐり、右へ曲がります。そのガードを越えてすぐに現れる階段を上った高台に長光寺があります。

長光寺への階段
長光寺に向かう階段

金谷駅の南側にある本遠山長光寺。
天保元(1644)年、慈善院日悦(にちえつ)上人が身延山二十六世智見院日暹(にっせん)上人を開山に開いた日蓮宗の寺院です。

 

歴史のエピソード

天保十四年の「宿明細書」によれば、「御除地高二石、凡建坪六拾五坪右は往還より南の方四拾二間程入り、往還差支の節は御休泊相勤め申し候」とあり、金谷宿唯一の日蓮宗寺院でした。

 

長光寺本堂
長光寺

[芭蕉の句碑]

本堂の東側の一角に「芭蕉の句碑」があります。

「道のべの 木槿は馬に 食はれけり」

芭蕉が貞享元(1684)年八月から翌二年四月にかけて、門人の千里(ちり)を伴い東海道を江戸から西へと旅した折に、大井川のあたりで詠んだといわれる句で、この旅の記『野ざらし紀行』には次のように記されています。

大井川越ゆる日は、終日(ひもねす)雨降ければ、
秋の日の雨江戸に指折らん大井川  ちり(千里)

馬上吟
道のべの木槿は馬にくわれ鳧

 

芭蕉の句「道のべの…」について

この句には「馬上吟」または「眼前」と前置きがあり、馬の背に揺られながら吟したものです。馬がふと立ち止まったかと思うと、芽の前で白い木槿の花をむしゃむしゃと食べてしまったという驚きを句にしています。
山本健吉氏は著書『芭蕉その鑑賞と批評』の中で−
この句の 面白さは単なる写生句としてでなく、馬上の芭蕉の軽い驚きが現されているからである。我にかえった後、「喰われちゃった」といった何気ない可笑しみが芭蕉の胸に込み上げて来るのである。「木槿の花とは、可笑しなものを喰うやつだ!」−と述べています。

(『東海道小夜の中山』より)

 

芭蕉

1644〜1694(天保一〜元禄七)伊賀国上野に生まれ、俳号桃青ともいう。芭蕉の号は深川の庵の周りに芭蕉が植えてあったのでそれを号とした。 芭蕉俳諧の特色は、日本文学の伝統的要素を新興文学たる俳諧の中に生かしたこと、つまり古い美と新しい美とを融合した点にある。

(金谷町教育委員会札より)

芭蕉の句碑
長光寺の芭蕉の句碑

←MAPへmarkすすむ→

お気軽にご意見ご感想をお寄せください。

お茶街道文化会
主催:カワサキ機工株式会社