[金谷坂下り口]金谷町金谷
金谷坂上り口から460mほどで金谷坂の石畳道は終わりで「金谷坂下り口」に到着します。ここで薄暗い杉木立の道から明るく開けたT字路に出ます(町道諏訪原城線)。右手(南側)に金谷坂石畳の説明看板があり、正面には広々とした茶畑の牧ノ原台地が広がります。
旧東海道は、このT字路から現在の町道諏訪原城線となり西へと続きます。
[芭蕉の句碑]
金谷坂下り口を左折して20mほどの右手に、
馬に寝て 残夢月とおし茶のけぶり
の句が刻まれた「芭蕉の句碑」があります。この句は、 「未明に宿を立ち、馬上でうとうとしていると、落ちそうになって夢の名残から覚めてしまった。あたりを見回すと、空には有り明けの月が遠くに見え、近くの家からは朝茶を煮る煙が立ち上っている。」という様子を吟んだものです。芭蕉が、馬の上から寝ぼけ眼で見た煙を、朝飯を炊く煙ではなく「茶のけぶり」としたのは、眼下にお茶の畑が広がっていたからでしょう。
芭蕉の句「馬に寝て…」について
この句には、「二十日余りの月、かすかに見えて、山の根際いとくらきに、馬上に鞭をたれて、数里いまだ鶏鳴ならず、杜牧(とぼく)が早行(そうぎょう)の残夢、小夜の中山に至りて忽ち驚く」という前文があります。杜牧とは中国の詩人であり、早行は杜牧の詠んだ「早行」の詩のことで、芭蕉はこの杜牧の早行詩にいう夢の名残りを念頭に置いてこの句を発したとされます。
(『東海道小夜の中山』より)
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