牧ノ原開拓の先駆者”中條景昭”像


 阪本茶農協の茶工場から茶畑の中を北へ300メートルほど行った、大井川と島田市を見晴らす絶景地に、”中條景昭の像”が牧ノ原の大茶園を見守るように立っています。中條景昭は幕末の混乱期に新徴組として旗本を率い江戸市中取締りに任じた剣の達人でした。江戸城明け渡しの後、慶喜に従って静岡へ移り住み、勝海舟等の勧めで240名余りの無祿の移住士族を率いて牧ノ原の茶園開拓に入植しました。
 剣を鍬に持ち替えての開拓事業で苦難の連続でしたが、最後まで破綻を来すことが無かったのは隊長としての中條景昭の殖産報国の固い信念と統率力によるものといえます。農地の売買が可能になり、仲間が慣れない労苦に耐えかねて次々と離農していく中で、死ぬまでこの地を離れずに隊長としての責任をはたしました。
 ある時、中條景昭を神奈川県令に推薦する動きがあり、牧ノ原まで説得に出向いた山岡鉄舟に対して、「一たん山へ上がったからはどんなことがあっても山は下りぬ。お茶の木のこやしになるのだ」と一笑にふしたというエピソードが残っています。
 ともあれ、中條景昭たちの努力がなければ、現在の牧ノ原の隆盛はまた別の形になっていただろうと思われます。
 写真は徳川幕臣牧之原入植120年に当たる昭和63年10月、中條金之助景昭像建立実行委員会の手によって建立された”中條景昭の像”です。

"公園から望む島田大橋と大井川"


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