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タイトル  

[松尾橋]掛川市掛川(緑町・仲町)

逆川の流れを渡る掛川城西側に架けられた橋を松尾橋といいます。
『掛川誌稿』掛川城本丸山の項には、「...本丸南ニ松尾曲輪アリ、池ヲ松尾池ト云、昔ハ松尾口トテ一方ノ城門ニシテ、川ニハ橋ヲモ掛ケシナリ・・・」とあり、山内一豊築城前の時代から城の出入り口として利用され、橋が架けられていたことがわかります。
逆川改修工事によって逆川の流れは往古の姿をとどめず、市街地と国道一号線とをつなぐ幹線道路が走る近代的な景色で、橋の名が往時の面影を偲ぶのみとなっています。

松尾橋

[中町交差点・清水銀行]掛川市掛川(仲町)

松尾橋から200mほど南、中町交差点で東西に延びる商店街が東海道です。
中町交差点の東北角には数寄屋風に造られた清水銀行があり、建物の交差点の面に内助の功で有名な山内一豊と妻千代像が木彫りで陽刻されています。

 

関連リンク

●地名のお話「掛川城下町の地名」
●人物クローズアップ「山内一豊」

中町商店街
山内一豊と千代レリーフ

[蕗の門・円満寺]掛川市掛川(西町)

中町交差点から商店街を300mほど西へ進むと、街道に面した北側に円満寺があります。
円満寺の山門は、明治五年掛川城廃城と共に払い下げられた折に、掛川城にあった蕗の門(富貴門)を移築したものです。掛川城で使われていた当時は、二の丸東側の内堀(蓮池)の東南隅にあり、その場所は城外の侍町から場内各所に通ずる要所でした。
門の構造は薬医門形式で本瓦葺、切妻屋根で両開きの扉があり、梁行3.6m(2間)、桁行3.1m(1間四尺)、移築にともない柱の下部を一尺五寸(約75cm)切り取って形を整えられましたが、概ね当時の姿をとどめています。

蕗の門がある法輪山円満寺は、南西郷久保村という村にあった寺を天正年間城外に建立移築し、さらに慶長二年城外の総堀造成のため現在地に移築されたと『掛川誌稿』に記されています。寺の建築は庭園を含めて近代的なデザインに建て替えられています。

蕗門
円満寺

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