[藤原宗行卿の塚]金谷町菊川
菊川の里は中世から宿として栄えたところです。鎌倉時代中期、承久三年の変で討幕計画に参画したとして捕らえられた中納言藤原宗行は、鎌倉への護送の途中に菊川の宿に泊まり、宿の柱に遺文を書いたと伝えられています。
昔南陽県の菊水下流を汲みて齢を延ぶ今東海道の菊川西岸に宿りて命を失う
この碑は昭和43年に発掘調査されました。中世の遺構であることは間違いないが、宗行のものであるとは確認できないということです。
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歴史のエピソード
また、文久三年、水戸藩の家臣である渡辺宮内右衛門源信は、水戸光圀が湊川神社に楠木正成の墓を建てたのにならって、この菊川に「宗行卿の墓」という墓碑を建てました。
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