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だいだらぼっちと布引きが原に関する諸説

静岡各地のだいだらぼっち

 だいだらぼっちの話は各地に残されており、その呼び名も「だいだら坊子」(三ケ日)、「だいだら法師」(本川根)、「大多良坊」(上川根村千頭)とさまざまに変化して伝えられている。静岡県内で有名なところでは、藁科川上流の富厚里から西側に入る「ダイラボウ」と呼ばれる小山で、その山頂には「だいだらぼっちの足跡」と伝えられる平地がある。巨人や山男の昔ばなしは、川沿いの小さな山に関わる逸話が多く、地名に関係しているところがおもしろいところなので、もうひとつ本川根の話を紹介しよう。 ダイラボウ


●榛原郡本川根町尾呂久保「だいだら法師」

 だいだら法師が、ある夜、大井川上流の千頭あたりに、富士山のように高い山を作ろうと思ってもっこに土を入れて担いでやってきた。女の美しい歌声を聞き、夜が明けたと思って土を投げ捨てて姿を消した。
 それで今も郷平には、小山のように盛り上がった所が二つある。また、この郷平のすこし南には、大井川を跨いで遠州と駿河に二つの山が向かい合っていて、その山頂が同じように窪んでいる。ここでは、だいだら法師が、その二つの山に足をふんばって、かがんで大井川の水をすすったと言う。すすったとき、大井川の水はかれてしまった。この踏ん張ったときに山頂の窪みができたと伝えられている。西の遠州は白羽山の「尾呂久保」で、東の駿河は無双連山に続く文沢の「塩野(しよんの)久保」のことを言っている。

 その他には、浜名郡伊佐見村のぼっこ山。この土地に伝わる「だいだらぼっち」は、昔琵琶湖からぼっこ(もっこ)で土を運んできたという話。また、引佐郡伊谷村の三合山という山は、だいだらぼっちが富士山を作ろうとして琵琶湖の土を持ってきたときにこぼれた土でできた山という伝説。おもしろいところでは、だいだら坊子が西から東へ行く途中、浜名湖の西北海岸でお弁当を食べたときに米の中に石が混じっていたので、その石を投げると、その石が浜名湖のツブテ島になったという話‥‥。どの伝説もだいだらぼっちは山を作り、足跡を池やくぼ地として残している。


布引きが原のお菊

 布引きが原は、茶業試験場のある大沢原の南隣に位置する百余戸の部落で、今は茶業で栄えている。ここには「だいだらぼっち」ではなく、別の布引きが原に関する昔ばなしがある。登場人物は、「だいだらぼっち」と同じ「お菊」だが、こちらのお菊は「だいだらぼっち」とは反対に男に恋い焦がれる女として伝えられている。その話を要約すると、

 お菊は相良(海)に住んでいて美しい娘だった。仕事のために相良へ来ていた金谷の大工と恋仲となり、大工が帰った後にも恋しい気持ちがおさまらず、夜になると人気のない牧の原の原野を通うようになった。お菊は暗い山の夜道が怖かったので、頭にオダマキをのせ、それに鏡と火をつけたローソクを二本立て、白い着物を着て、一端の白布を後ろに長く引いて歩いた。こうして怪物を装って歩けば、人々が近づかないだろうと考えたのである。ところが、この怪物が評判となり、賭博師が怪物退治をするといって待ち伏せし、お菊を刀で斬り殺してしまう。その後、お菊の殺されたところをお菊沢と呼び、祟りがあると伝えられている。

この話では、布引きが原はお菊が布を引いて通ったことからできたということである。


※参項文献
●『続・遠州伝説集』 御手洗 清

 

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