You are here: TOPPAGE 歴史探訪案内 昔ばなし 第14回若宮大明神  

昔ばなし

若宮大明神 数馬の幽霊 掛川市粟本地区殿谷周辺

「で、でたぁ〜」
外から帰ったきこりの甚兵衛は、家へつくとヘタヘタと尻もちをつきました。
「なんだねぇ、何がでたんだね。」
おかみさんが亭主のあわてようにたずねると、
「大入道よ。わしが谷の六さまの前を通って松の木の横を通ったらな、ものすげえ大入道が出て、わしをにらみつけたのさ。」

 それから3日たった夜、甚兵衛と同じところを通った茂七も青くなってとんで帰ってきました。
村中で次々に大入道の幽霊を見たというものが出て大騒ぎです。

その幽霊は、身のたけ1丈あまりもある大男の武士の亡霊でした。
刀を差し、片手に草履をもち、目は片方を斜めに切られ無念の形相すさまじく、口をカッと開 いて、
「やれ恨めしやなあ、汝をとり殺すぞ!」
といって追いかけてくる。
幽霊に出会った村人はたいそう驚き、寝こんでしまう者まで出て、村人はこの殿谷(とんのや)あたりを通らなくなりました。

  あるとき、ひとりの気情な村の男が、亡霊の出る道を夜更けに通りました。
やはり亡霊は男の前に出て、その姿は片目で草履を片方しか履いていません。
村の男が怖い気持ちをおしころして逃げずにいると、亡霊が話しはじめました。
「われは宗忠の子、河合数馬将忠(かわいかずままさただ)という者である。隣村の城主荒重のもとへ行った帰りに酒に酔って城主の草履を取り違えて履いたことをとがめられ、荒重に手討ちにされた。身内が弔ったが墓石は幾百年の時を経て忘れ去られ、草むらに埋もれているが、大名の子と生まれ土民の足下となることは口惜しい。何卒懇ろに弔ってほしい。」
これを聞いた男は、さっそく石碑を建てて亡霊を弔いました。

 さて年月は経て、ある年の9月8日の夜のこと。
村の庄屋の太郎左ェ門の枕も とに数馬の亡霊が現われました。
その夢の中で亡霊は、 「石碑を建ててもらったが、霊を神として祭ってくれれば、永くこの村の氏神となるべし。」
と頼んで消えました。
太郎左ェ門は村人たちにこのことを話して、小さなお宮を建て数馬を氏神として祭り、若い殿様の霊なので「若宮大明神」と名付けまし た。

今でもこの村では、毎年旧暦9月8日(10月7日)のお祭りが続けられていま す。
*参考文献 『掛川のむかし話』掛川歴史教室
 

『遠江古蹟図絵』解説 神谷昌志 (株)明文出版社

 

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