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昔ばなし
鞍骨の池(鞍橋の池)
享徳五年如月(1456年2月)のこと。 今川氏一族である堀越入道陸奥守貞延は、多くの戦で功をたてた人物であったが、長い戦に兵糧が乏しくなり、追われる身となっていました。 馬を駈って広場の池近くまで来たとき、入道は疲れ果てて、馬の背に覆いかぶさるようにしてうとうとしていると、池で子どもたちが鮒やどじょうを夢中でとるはしゃぎ声が聞こえてきました。そこへ入道の追手らしき数人のさむらいがどやどやと駈け てきて、子どもたちに聞きました。 「おい、わらべども。ここらあたりに馬に乗ったさむらいが来なんだか。」 子どもたちは恐がって、蜘蛛の子を散らすように逃げ去りました。 「そう遠くへは行っていないぞ。さがせ。」 と、なおも入道を追って動き出す敵兵たちの話声が聞こえてきます。入道は耳をそば 立てて聞き、馬の足音を隠しながら、逆川に沿って西の方へ走りました。 | |
しばらく行って、牛頭(ごうず)へ入った道脇に大きな池をみつけました。 「なんと美しい池だろう。」 透き通った水面をのぞくと、色あせた鎧、髭が伸びた自らの姿が写りました。 「もはやこの体では逃げおおせまい。ふるさとの景色に似たこの池のほとりに骨を埋 めよう。」 |
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意を決した入道は、自分の愛馬陸風は生かしてやりたいと思い、鞍をはずして里人に拾われることを願いました。池の水で身を清め、馬の鞍を堤に埋めると、入道は潔く自刃しました。 池の近くに住む神戸の家の者が陸風を保護し、馬の行くままついていくと、入道の 自刃した場所へ来ました。村人たちは池の少し東に入道を葬り、その池を「鞍橋の池 」と呼ぶようになりました。 |
*参考:『掛川の昔話』掛川歴史教室
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