むかしむかし、榛原の湯日村養勝寺の宗鑑禅師というお坊さまが旅の途中、東海道小夜の中山の途中にある「沓掛」というあたりに差しさしかかり、なにやら大勢の村人たちが泣いている姿に出くわしました。
「こんなところでなにを泣いておられる。」
禅師は村人たちに事の次第をたずねました。すると村人たちは、
「この下の谷、水井の地に龍が棲んでおり、夜な夜な街道へ出て鶏や童子をとって喰います。昨夜も子どもが一人とって喰われました。」
と、恐れて泣きながら話しました。 これを聞いた禅師はあわれに思い、法力によって龍を退治することにしました。
沓掛の松の一番高い枝にけさと衣をかけ、一番低い枝に履物をかけて、はだか・はだしになると谷川へ行って三日三晩呪文を唱えながら身を清めました。そして禅師は大井の池の面を見つめて、一心に経を唱え続けました。
すると、苦しそうに身をよじりながら大蛇が水面に体を出しました。和尚さまはさらに高い声でお経を唱え続けます。大蛇は苦しそうにのたうちまわり、そのうち体が縮まってきました。経は七日七晩続けられ、とどめの経を唱えた時、わずか二十厘ほどの小さな蛇の姿となり、池のほとりの穴に落ちてしまいました。
大蛇退治を終えた和尚は衣服をまとうと村人たちを呼びました。
「もう大丈夫じゃ。安心して暮らしなさい。」
そう言うと、帰り支度を始めました。村人たちは、和尚さまに感謝し、村にとどまって住んでくれるよう頼みました。皆で池のほとりを整地し、寺を建てて常現寺と名付けました。和尚さまもこの水井の地にとどまり、寺の始祖となって仏の道を人々に説いてくださいました。
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