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−大蛇退治解説−   
常現寺と水井と逆川

常現寺

龍谷山常現寺

 龍谷山常現寺は、旧国道1号線バイパスを日坂宿から東へ500mほど上った南側にあり、延命地蔵を本尊に奉る曹洞宗のお寺です。この寺がある地は、近年まで水井と呼ばれていました。 『掛川誌稿』(文化2年・1805)巻四、日坂宿の項に、龍谷山常現寺の記述があります。曹洞宗、奥野村、長松院の末と記されるのに続いて、
「日坂宿水井ト云所ニ在リ、御朱印ノ寺田七石アリ、開山覺雄鑑和尚(*1)、大永六年六月十一日死ス、二世盛庵宗梁和尚、某翌年閏八月廿四日死セリ、其創建ノ年紀推シテ知ルヘシ」
大永六年は西暦1526年、戦国時代(室町後期)にあたり、『掛川誌稿』に著されていることからも、江戸時代にはすでに古刹として名高い寺であったように思われます。寺は安政九年に焼失しましたが、文化三年に再建され、今も美しい寺が残されています。

*1: 常現寺の縁起には覺雄宗鑑(カクオウソウカン)禅師とある。

逆川と龍退治

常現寺地図

 掛川には多くの沼池が点在しており、それらの沼池には「鞍骨の池」「椀貸池」など、さまざまな伝承が残されています。常現寺の現住職の話では、寺の裏手付近に昔は池があり、その池は安政の大地震(安政元・1854)のときに山が崩れて埋まってしまいました。それまでは蛇塚のような、この話にまつわる碑があったようですが、残念ながら現在では龍退治の伝承に所縁のあるものは残されていません。このあたりは安政の大地震で地形が変わったうえに、新バイパスの工事で高架が架けられ、今では寺の周辺は明るく開けた印象になりましたが、沓掛・水井の地は、箱根と並ぶ東海道の難所といわれた小夜の中山をひかえた日坂宿という小さな宿場のはずれにあたります。当時は草木が茂った薄暗いところだったのでしょうから、旅人や近隣の人からこのようなお話が伝えられたのかもしれません。
  昔話に出てくる龍(大蛇)は、ヤマタノオロチ退治に代表されるように、川を現わしている場合が多い。この大蛇退治で大蛇が川を現わしているとすれば、「逆川(さかいがわ)」という川が日坂から掛川の宿場近くを流れていますから、この川のことと思われます。逆川の水難に関する記録は見当たりませんが、川に関わる何らかのメッセージが込められた伝承なのでしょうか。今では使われなくなりましたが、水井という地名と龍退治の伝承が関係しているように思われます。

沓掛のおまじない

 この昔話の中で、鑑和尚は日坂の宿へ着くと、沓掛の松に袈裟衣と履物をかけて裸になります。この和尚の行動は、東海道を旅した人々の間で流行したおまじないに通じるもので、江戸時代の人々は、沓掛(地名)で新しい履物に履きかえ、古くなった履物を木に投げて旅の安全を祈願したといいます。 地名のお話『沓掛』へ

 

参考文献 『掛川誌稿』全翻刻 静岡新聞社
  『遠江風土記傅』
取材 龍谷山常現寺
*画像 龍谷山常現寺案内

 

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