T E A B R E A K |
第7話 『桃山時代の生産革命』 |
|
|||
|
桃山時代の技術革新 ところが、桃山時代に入って技術革新が起こります。 その技術革新とは「被覆」です。竹で囲いをし、その上に葦簀(よしず)を張って、稲ワラをかけるのです。「すの下十日、ワラ下十日」と言って、よしずの簀(す)を張り薄暗くして10日、田んぼの稲ワラをかけて真っ暗にして10日、そして摘むという生産方法です。だいたい20日くらいの日陰をつくってやり、はじめ薄くして、だんだん暗くしていく。そうすると、きれいな青緑色でおいしいお茶ができて、しかもふだんは日当たりがいいから茶園の生育がとてもよく、人間の背丈くらいになります。豊臣秀吉の時代、この技術革新によって、茶の生産量が爆発的に増加しました。
|
||
関連産業と西尾・宇治のお抹茶 しかも新しい栽培方法でおいしいお茶をつくるために、5つの関連産業が必要になってきました。被覆によって平地でも栽培できるようになり、山間地であること、日照時間が少ないこと等の産地条件が解消されるわけですが、どこでもできるわけではなくて、その5つの関連産業が整わなければ産地にならなかったのです。まずひとつは、丸太。里山の木を切ってきて、背丈よりも高い杭を打ちますから、かなり長い丸太が必要です。次に竹。葦簀(よしず)を乗せるための竹が豊富に手に入る竹林があること。そして茶畑と同じ広さの田んぼがあって、茶園一反あたり一反分のワラを入れられること。それから、冬に河原から芦を刈ってきて葦簀(よしず)をつくれること。これらをお金で買ったのでは採算が合わないので、条件のそろった場所に茶産地が広がっていきました。 ここまでで4つですね。5つ目は、おいしいお茶をつくるために大切な肥料です。町から人糞尿をオケに入れて運んできて、畑に与えなければならない。自分の家の人糞尿だけでは足りないし、肥料の質もよくないからね。昔は京都の町へ大八車で出かけて、旅館などでおいしいものを食べた人達の人糞尿をもらってきたそうですよ。そんな技術革新が起こって、三河の西尾や京都の宇治というところが有名になってくるのです。
抹茶の栽培 ところで、なぜ、人糞尿まで含めた5つの関連産業がないと抹茶の生産地になれなかったのか。それは、お抹茶の場合は芽を長く伸ばして、葉でお茶をつくるからです。そのためには、新芽が30〜40センチ伸びるような立派な茶園をつくらなければならない。痩せた土地ではいいお茶ができないからです。しかも、日当たりのいいところで伸ばしたら葉が硬くなってしまうから、被覆をしてやわらかい葉をつくります。そうすれば、おいしくてきれいな青緑色のお抹茶ができるのです。 |
←→
お気軽にご意見ご感想をお寄せください。
お茶街道文化会
主催:カワサキ機工株式会社
ochakaido@ochakaido.com