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屋台(山車)

 掛川祭りでは、それぞれの町ごとに屋台を出して練り歩き、競い合います。その屋台の彫刻や塗り、飾り物や人形は芸術性の高いもので、笛や鉦、太鼓のお囃子、手踊りの芸能もすばらしいものです。以前は大祭のみに行なわれましたが、いまでは毎年行なわれ、町の人たちの楽しみとなっています。
掛川の祭礼は、龍尾の新天王山から常駐の旧鎮座地への御輿の渡御が行なわれました。祭りの列は、中世より行なわれた風流の行列から、神の依代の榊・花・御幣.鉾や車に付けた地車(だんじり)、練屋台、山車、肩にかつぐ神輿等がありますが、掛川祭の神の巡幸にも種々の姿がみられます。現在は、神輿が神座で主体でもありますが、山車も御幣も鉾も花幌も、それぞれが神の依代の姿でした。

 山車も「移動する神座」として、車に山・鉾・花・幣・鏡等を飾った後には、人形やその他の作り物を飾って引き回すようになりました。

祭屋台
山車が練っている最中に他の山車と出会うと、それぞれの屋台に乗っているお囃子が激しく太鼓を打ち鳴らす「ばちさばき」が始まります。 山車を引く氏子衆も笛を鳴らしながら激しく山車を揺らしてその勇壮さを競い合う様は掛川祭りの目玉。ばちさばきが聞こえると黒山の人だかりとなり、祭りはいっそう盛り上がります。 ばちさばき

屋台の歴史

 安政地震以前の掛川の屋台についての記録はありません。地震の時に大半が焼けたり壊れてしまい、一番古い喜町の屋台は、震災後京都でもとめた高欄付きの豪華なものだったので、城内に参入するときには、障子を裏返しにしたと伝えられます。中町の三階造りの屋台も、明治6年の修理と言われ、創建は同じ頃と考えられます。他町の古い高欄付きや、朝顔形の組子の旧式な屋台は、いずれもこの頃つくられたものでしょう。明治・大正頃までは、普通の二輪の囃子屋台と別に、四輪の「舞屋台(踊り屋台)」をもっている町内もありました。
明治・大正・昭和にはいってから新造された屋台は、高欄付きで形も大きくなり、掛川祭の屋台として二輪・源氏車・出囃子型、欄間や側壁に彫刻をほどこし、白木または漆仕上げの豪華なもの、刺繍の華麗な幕をめぐらした芸術性の高いものが多くなりました。

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