[高麗橋(菊川の辻)]金谷町菊川字町
高麗橋は、集落の中を流れる菊川を渡る橋です。昔は「菊川橋」と呼ばれ、間の宿菊川の東の入口でした。『大概帳』には「長十一間、幅二間半、橋枕三本立て六組の土橋」とあります。後に河川改修によって架け替えられ、高麗橋と名を改めて、現在の橋は二代目のコンクリート橋です。現在の橋は長さ14.8m、幅4.6m。
井原西鶴の『一目玉鉾』に「此処に矢の根鍛冶の名人有、また切飴の名物有」とあるように、菊川の名物といえば、矢の根鍛冶と飴の餅でした。その名残を見ることはできませんが、菊川橋の左側のたもとに、名物菊川飴の店「橋本屋」や「いずみ屋」などがあったそうです。橋本屋では、当時名物の飴の餅とともに「遠州菊川古跡白菊姫の事」という冊子を売っていて、その版木は現在も当家に保存されています。
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菊川名物−飴の餅−
江戸時代の東海道で、小夜の中山の名物として知られた飴の餅。飴の餅とは、搗き餅を小さくちぎって団子に丸め、手のひらで押して平らにして程よく焼いたものを皿に五つ並べ、やわらかい水飴を添えたものです。この甘い菓子は、大井川、金谷坂と難所を越えてきた旅人たちには忘れ難い味となり、土産話に伝えられて評判になりました。『東海道中膝栗毛』で、弥次さん喜多さんもこの飴の餅を口にしていますが「酒飲みなのでもてあました」と書かれています。
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