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[間の宿菊川]金谷町菊川字菊川

菊川宿は、中世に栄えた古い宿で、詩歌や伝説に詠まれた悲話の里として知られました。近世になり、天正五(1575)年に武田・徳川の諏訪原城の戦いで菊川の里は激戦地となったため、里の人々は戦火を逃れて流亡しました。 戦いが終わって家康が天下をおさめ、慶長六(1601)年に東海道宿駅制が定められると、やがて村人たちも戻って茶屋などを営むようになりました。金谷宿と日坂宿一里二十四町の間にはさまれた菊川は、宿として定められなかったため旅人の宿泊は許されていませんでしたが、大井川が川留めになると宿泊を許されて茶店や農家が急ごしらえの旅籠となり、小夜の中山をひかえた休息の地「間の宿(あいのしゅく)」として旅人を迎えました。

菊川の町並み
菊川の里町並み

[秋葉常夜燈]金谷町菊川字菊川

街道に面した菊川の町のほぼ中央あたりの北側に小さなお堂があり、その中には鉄製で赤く錆びた常夜燈が建立されています。いつ頃のものなのかわかりませんが、川東の火事で大きな被害があったので、防火の祈願のために建てられたのであろうと云われます。

 

秋葉常夜燈
秋葉常夜燈

[菊川の里道標]金谷町菊川字菊川

菊川の里に入って100mほど西へ進んだ右手に、東海道に共通して建てられた道標があり、「←金谷宿・宿境まで十八町(2.0km)、日坂宿・宿境まで一里(4.0km)→」と次の宿境までの距離が示されています。それぞれの距離は短いのですが、ここは西に菊川坂、東に小夜の中山をひかえた難所に囲まれた谷の集落。昔の旅人も「平(たいら)」と呼ばれたこの町で、ほっと一息ついたことでしょう。

菊川の里道標
東海道の道標

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