[間の宿菊川]金谷町菊川字菊川
菊川宿は、中世に栄えた古い宿で、詩歌や伝説に詠まれた悲話の里として知られました。近世になり、天正五(1575)年に武田・徳川の諏訪原城の戦いで菊川の里は激戦地となったため、里の人々は戦火を逃れて流亡しました。
戦いが終わって家康が天下をおさめ、慶長六(1601)年に東海道宿駅制が定められると、やがて村人たちも戻って茶屋などを営むようになりました。金谷宿と日坂宿一里二十四町の間にはさまれた菊川は、宿として定められなかったため旅人の宿泊は許されていませんでしたが、大井川が川留めになると宿泊を許されて茶店や農家が急ごしらえの旅籠となり、小夜の中山をひかえた休息の地「間の宿(あいのしゅく)」として旅人を迎えました。
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