[さんぽ茶屋]金谷町菊川
さんぽ茶屋は、平成9年に建てられた菊川の里のお休み処で、営業日は毎週日曜日。運営は地元の女性たちが仲間で行っていて、毎週開かれる朝市では、地元で収穫された新鮮な野菜がにぎやかに売られています。食堂のメニューは手作りの「そば」「とろろめし」「ところてん」などおふくろの味が中心。お土産には地元菊川茶を使ったお菓子やお漬物などがあり、東海道を通るハイカーに心のこもった憩いの場を提供しています。
[宗行卿の歌碑・日野俊基の歌碑]金谷町菊川
さんぽ茶屋入口に立つふたつの歌碑は、鎌倉時代中期、承久三(1221)年の変で捕らえられた中納言藤原宗行の歌と、その100年余後に「元弘の乱」の首謀者として捕らえられた日野俊基が宗行卿の故事を詠んだ歌を偲ぶものです。以前は街道中ほど左手の奥にある菊川神社(旧若宮八幡神社)参道鳥居の横にありましたが、平成3年に移転して新しく建て替えられ、解説看板を建てて歴史を今に伝えています。
中納言藤原宗行の歌
中納言藤原宗行卿の歌について、『承久記』には次のように記されています。「中御門中納言宗行は、小山新左衛門尉具し奉りて下りけるが、遠江の菊河に著給ふ。爰(ここ)をば何と云ふぞと問給へば、菊河と申す。前に流るゝ川の事か。さん(左様)候と申ければ、硯乞ひ出て、宿の柱に書付給ふ。
昔南陽県之菊水、酌下流延齢 今東海道之菊河、宿西岸失命
(昔南陽県の菊水下流を汲みて齢を延ぶ今東海道の菊川西岸に宿りて命を失う) と書て過給へば、行き合ふ旅人、空しき筆の跡を見つゝ、涙を流さぬは無りけり。
日野俊基の歌
日野俊基の歌は、『太平記』に「俊基朝臣再関東下向事」として ・・・遠き昔の筆の跡、今は我身の上になり、哀やいとゞ増りけん、一首の歌を詠て、宿の柱にぞ書れける。 古もかゝるためしを菊川の 同じ流に身をや沈めん と、悲しい身の上を宗行に重ねて詠んでいます 。
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お茶街道文化会 主催:カワサキ機工株式会社