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さんぽ茶屋の斜向かいに、矢の根鍛冶が大きく描かれたお宅あります。ここは、その昔矢の根鍛冶をしていた才兵衛の家であったとのことです。才兵衛は古くからの矢の根鍛冶でしたが、『掛川誌稿』によると貞享以後断絶したらしく、その後矢の根鍛冶の職は別家の清次郎へと引き継がれたようです。 矢の根とは弓矢の根、すなわち矢尻のことで、菊川の里に硬くて鋭利な矢尻をつくる者がいることが、書物などによって知らしめられ当地の名物となっていました。矢の根鍛冶清次郎は、参勤交代で街道を通る大名行列に献上しては、その優秀さを誇っていたといいます。その後、泰平の世となって矢の根の需要がなくなり、五條清次郎は土地を離れましたが、代々伝えられたと思われる矢の根鍛冶「秘伝書」は、今も菊川の旧家に大切に所蔵されており、この地には「鍛冶屋敷」という往時を偲ぶ地名が伝えられています。
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300mほど続く菊川の里を抜けて、街道を横切る菊川の支流に架かる橋は「四郡橋」と呼ばれ、菊川の里の西の入口です。「四郡」は「ヨゴオリ」と読み、四つの郡にまたがる長い山があるからとも、東海道がこの川を渡って直角に折れるから「横折れ」が訛ってついた名であるとも言われます。
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