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[茶亭跡]掛川市小夜鹿字新茶屋

青木坂を4〜500m登った左手に街道の崖側に開けたスペースがあり、そこに接待茶屋跡の碑があります。鎌倉時代から旅人の求めに応じて湯茶をサービスした茶屋があったことを今に伝えるもので、位置はここよりも菊川寄りだっただろうと言われています。茶屋は安永(1772)ごろまであったらしく、「菊川接待茶」と『掛川誌稿』に記されています。
久延寺周辺には、人通りが賑やかだったころには茶店や飴の餅屋が立ち並び、村の人々は旅人相手に日銭を稼いで暮らしていました。店を構えた村人ばかりでなく、夜啼石、夜啼松、子育て観音などの縁起を刷ったものを僧侶や乞食が売っていたと紀行文に記されています。碑の向こう側は崖になっていて眼下には茶畑と民家が点在し、火剣山を望むすばらしい景色が望めます。

 

中世から近代の接待茶屋

接待茶屋跡の碑は久延寺門前にありますが、これは位置を示すものではなく、中世(鎌倉・室町時代)における接待所は、ここよりも東の菊川宿に下る坂の途中にあったようです。接待所は相良庄平田寺の経営によるもので、東海道を旅する旅人に対して無料で湯茶を施していました。時によっては僧尼のみにサービスしたこともあったようです。久延寺は平田寺との繋がりが深く、一時途絶えた接待所を久延寺が再興し、安永年間まで存続したといわれます。

 

接待茶亭跡

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