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東海道日坂宿を過ぎて、国道一号線と合流する手前に奥社入口の立て札があります。この山は本宮山と呼ばれ、かつてはここに神が祭られていたのを平安初期の大同2年(807年)に、坂上田村麻呂が現在地に移転して再建したと伝えられています。
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日坂宿西側で東海道は国道一号線と合流して右折します。そのT字路の正面に事任八幡宮の本殿と拝殿があります。屋根よりも高く伸びた椎ノ木の枝が社殿を守るように覆い、木漏れ日を浴びた境内は荘厳な雰囲気を漂わせています。 鳥居脇の由緒案内によれば、大同二年(807)坂上田村麻呂東征の際、本宮山の旧社地から移転再建したと伝えられ、武家社会となって八幡宮信仰が栄えると、康平五年(1062)源頼義が石清水八幡宮を当社に勧請して事任神社が八幡宮を併称するようになったといいます。
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