You are here: TOPPAGE古今旅集お茶街道の旅 粟ヶ岳・事任八幡宮・本所塩井神社  
タイトル  

[塩井神社]掛川市潮井河原

国道一号線八坂橋の歩道橋下に塩井神社があります。鳥居をくぐると逆川が流れていて、川を渡る情緒ある参道ですが常設の橋はなく、臨時に板橋を架けて渡るようになっています。

このあたりは潮井河原という地名で「雄鯨山雌鯨山」の伝説が残されています。その伝説によれば、八幡宮の神が日坂村の人々が清めをするために塩水が湧き出る場所をつくったというのがこの塩井神社にあたるそうです。

 

関連リンク

●昔ばなし「雄鯨山雌鯨山」

 

塩井神社の鳥居と道標
逆川対岸にある塩井神社

[八坂の交差点]掛川市八坂

国道一号線と合流していた東海道は、塩井神社の30mほど先で再び分岐して南東側(左)の道へと伸びています。

写真左が東海道

[伊藤嵐牛出生地]掛川市八坂

旧東海道に入って100mほど先の右手の工設計前に伊藤嵐牛出生地の碑があります。
伊藤嵐牛(寛政十年〜明治九年、1798〜1876)は通称清左衛門といい、家は鍛冶屋でした。江戸後期の俳人で石川依平に和歌や文学を学び、青々処卓池(たくち)に俳諧をまなんで「遠州屈指の宗匠」といわれた人です。俳号は柿園嵐牛。57歳の頃から弟子をとるようになって門人は百人を超え、後に名を成した松島十湖も嵐牛の門弟でした。当時の東海道は交通だけでなく、東西を結ぶ文化の交流にも重要な役割を果たしていました。掛川の東海道沿いに一生を過ごした嵐牛は多くの文化人と交流を深め、その足跡は今も当家に残されています。

掛川市十九首町の成田山東光寺境内に嵐牛の句碑があります。

桜見し心しづまる牡丹かな嵐牛

伊藤嵐牛出生地の碑
嵐牛生家前の町並み

←もどるmarkすすむ→

お気軽にご意見ご感想をお寄せください。

お茶街道文化会
主催:カワサキ機工株式会社