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タイトル  

[川越し資料館]

旧東海道を東橋を越えたあたりで南へそれて150mほど、大井川鉄道新金谷駅前の観光施設「プラザロコ」内には、金谷川越し資料館があります。施設入口には、地域の観光パンフレットやイベント案内が置かれていて、散策の情報収集に便利です。

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PLAZA LOCO
川越し資料館は、大井川の渡しで栄えた金谷宿の歴史文化を当時の遺品や模型を使って紹介しています。右のパネルは、川越しの復元画。川会所、高札場、札場など、江戸時代に実在した川越し施設が紹介されていて、江戸時代の大井川渡しの様子が伝わってきます。
また、金谷宿には、大井川川越し太鼓、川越し祭りなどがあり、金谷宿の川越し文化が地元の人々の手で伝えられています。
川越し復元画
大井川川越し復元画

実際に大井川の川越しに使われた輦台(れんだい)が展示されています。一般 庶民は人足の肩車などで渡りましたから、輦台は身分の高い人が使用したものです。
川越人足は、旅人から受け取った川札をマゲに結びつけて川を渡り、 札場で精算して賃金を受け取りました。

 

歴史のエピソード[川札]

大井川を越す旅人は、高札場で川越しに関する奉行所の指示を読んで、隣の川会所で川札を買い、その川札を川越人足に渡して大井川を渡してもらいました。肩車や輦台等、渡り方によって川札の枚数が定められていて、川札の値段は、水量 によっても毎日値段が変わりました。

 

川越し復元画
川越し輦台

江戸時代、川越しを主な役割とする金谷宿は、八軒屋橋(現・東橋)を渡ったあたりに川会所、番宿、札場などの川越し施設が立ち並んでいました。天保14年の記録では、金谷宿と河原町の川越人足は都合550人とあり、十組に分けられてそれぞれの番宿(人足の集会所)に詰めていました。
川越し資料館には、当時の川越人足のようすを再現した模型が展示されています。

 

歴史のエピソード[八軒屋川越]

現在の東町は、天正の瀬直し(1580)でできた新開地で「三軒屋」といいます。後に近くに八軒屋というところもできて、この周辺の川越人足は三軒屋川越・八軒屋川越と呼ばれていました。

 

川越し復元画
番宿の模型

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