You are here: TOPPAGE 歴史探訪案内 街道の歴史 宿場のようす 日坂宿  

日坂宿

東海道第25宿日坂宿
日本橋から214キロ
掛川宿まで一里二十四町
総家数:1004軒
本陣3,脇本陣1,旅籠屋51
宿全長:東西十六町二十四間
(天保14年大概帳)

日坂宿の規模

 日坂宿は、東海道の難所である小夜の中山峠の東側にあり、峠越えの麓集落です。江戸時代以前は西坂、入坂、新坂などと書かれていたらしく、室町時代に京都から鎌倉までの六十三宿を記した文書にも「懸川、西坂、菊川」とあり、紀行文にも同名で出てくることから、古くから峠越えの宿客を迎える小規模な宿が営まれていたようです。
 日坂宿は、西に掛川宿、東に金谷宿という大きな宿場にはさまれ、東海道の宿場としては坂下(現三重県鈴鹿)、由比に次いで三番目に小さな宿場でした。『大概帳』(天保14)によれば、宿の全長は東西6町半、宿内人口は750人、宿内家数は168軒でした。宿内には、本陣と脇本陣が一軒づつ、旅籠屋33軒などで宿場を営んでいました。これらは幕府から定められた宿場の機能で、小さな村にとってはかなりの負担であったと思われます。

 

日坂宿の今

小夜の中山峠入口(青木坂) 日坂宿入口
宿屋(末広亭) 片岡本陣跡(扇屋)

金谷から東海道の難所のひとつである小夜の中山峠を越えて、現在の国道一号線を渡ると日坂の宿の入口です。宿場の道は全体的に下り勾配で、東から本町、下町、古宮町と宿場の町並みがゆるやかなカーブを描いて続き、本町には、本陣、脇本陣、問屋場などの重要な施設が通りの北側にありました。日坂宿は幾度かの火災で古い建物はほとんど消失してしまいましたが、町の人々が屋号を掲げるなどして残された遺構を保全しています。


問屋場跡 川坂屋
高札場跡 秋葉常夜燈

 本町と下町には、商家や民家に混じって旅籠屋が店を構え、大旅籠が3軒、中旅籠22軒、小旅籠8軒がありました。唯一江戸時代の面影を残しているのは、下町の古宮橋東側に建つ川坂屋です。当時は日坂西端の旅籠屋で、建物は一部修理増築されていますが、美しい格子窓などに往時の旅籠屋の面影を伝えています。
 下町の西には逆川(さかがわ)に架かる古宮橋が日坂宿の西端の標となっていました。当時の記録では長さ13間、幅3間の高欄付きの板橋だったといいます。橋のたもとには、宿内ただひとつの高札場があり、現在は相伝寺境内脇にその跡地が記されています。
 古宮橋を渡って100mほど先には東海道と粟ヶ獄方面への道との分岐点があり、東海道はそこからしばらく国道一号線と重なっています。

 

 

東海道の旅>日坂宿へ

 

金谷宿 日坂宿 掛川宿  

 

お気軽にご意見ご感想をお寄せください。

お茶街道文化会
主催:カワサキ機工株式会社