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[第15回 解説-1]
平将門と怨霊伝説
平将門といえば、祟りや怨念の話を思い浮かべる。現代日本の中心地である千代田区に至っても、将門公の祟り話しが伝えられるほどで、千代田区大手町にある将門の首塚が、京都から飛んできた将門の首を祭ったところである−という言い伝えが一般的であろう。
では、なぜ掛川に首塚なのか。残念ながら記録がないため、この十九首塚が将門の塚で あるという定かな証拠はない。ただ、昭和31年、塚保存のために、五輪塔建立にあたって塚の一部を掘り返した際、長さ20センチの「刀子(とうす)」と呼ばれる小刀と、手のひら大の土器片が出土し、1200年位前のものと鑑定された。この塚の時代を示資料は他になく、塚の主について確かなことはわからない。
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十九首塚伝説の形成 将門は、平良持(たいらよしもち)の子で、京に上り摂政藤原忠平に臣従して検非違使(けんびいし・警察等)就任を希望したが受け入れられず、関東に帰って悶々とした日を送る。時が熟すのは承平5年(935)、平氏一族の内紛を契機に将門は関東武士の信望をあつめ、常陸、下野(しもつけ)、上野(こうづけ)、武蔵、相模など関東一円を占拠し、自ら新皇と称して公然と国に背くようになったという。
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将門と七つの魂
山東京伝の黄表紙『時代世話二挺鼓』だろう。将門が、妖術を使って七つの分身を見せ、対抗して秀郷が覗鏡で八重の姿を見せるなどの見せ場が描かれており、そのクライマックス、将門が斬られるシーンでは、打ち落とされた将門の首から七つの魂が飛び散る。七は将門伝説以前から妙見に伝わる数字であったことから、秩父妙見宮と将門伝説の関係を説く書物もあり興味深い。 |
*参考文献 | 『ふるさとの史跡1キロハイク』掛川市歴史教室 |
『『怨念の将門』神山弘著 エンタプライズ(株)出版 | |
『日本伝説大系 第四巻』共著の内渡邊昭五著部分(株)みずうみ書房出版 | |
『平家物語』解説 市古貞次校注訳(株)小学館 | |
*画像提供 | 神田明神 |
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