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蛇身鳥物語についての考察

「蛇身鳥(刃の雉)」の話で最も興味をひかれるのは、「蛇身鳥」の怪奇な姿、その怪奇ぶりである。 首は蛇のごとく、尾は孔雀、目は鈴のごとく、翼は編刃のごとく長さ一丈余の鳥にてぞ有ける(『遠江古蹟図会』) 首は蛇、尾は孔雀、体は犀、嘴は戟、眼は鈴、爪は剣、翼は刀のようで長さは一丈余もあった。(「平田寺草創記」『静岡懸史』第四輯所収の漢文を意訳)


(ぬえ)

この世ならぬ、恐ろしく不気味な怪物の姿が、ここから読み取ることができる。このような合成怪物として有名なのは『平家物語』に登場する鵺である。

毎夜丑の刻(午前二時ごろ)になると怪しい黒雲が立ちこめ、宮中の天皇をおびえさせた。これを解決しようと弓の名人である、源頼政が召されることになった。頼政は遠江の国の住人猪の早太をいう家来をつれこの怪事件にのぞんだ。丑の刻になるといつものごとく黒雲がわきあがり始めた。頼政はその黒雲のなかに怪しき物影を見定めると、弓に矢をつがえひょうと射ると、飛ぶ矢に確かな手ごたえがあり、怪物は屋根から庭へと転げ落ちてきた。他の者たちが灯でその怪物を照らしてみると、頭は猿、体は狸、尾は蛇、手足は虎のようで、鳴く声は鵺のようであった。この怪物が退治されてから、宮中には静かな夜がおとずれた。(『平家物語』巻第四)

ここから、わけのわからぬ怪物、または人物を「ヌエ」、「ヌエ的人物」と呼ぶようになった。 ヌエが、なぜ『平家物語』の中で、このような合成怪物の形をとったのかが、後世に推理考察されている。『理斎随筆』では、十干十二支の方位学に基づき、古来、人々は目には見えないが、災厄をもたらす鬼は、鬼門の方角、すなわち東北(丑寅)からやってくると信じてきたといい、この鬼は、牛の角を持ち、虎の皮を履いていると想像され、同じように鵺もまた、丑寅(東北)、未申(南西)、辰巳(東南)、戌亥(西北)の四方位から、この怪物が想像されたとしている。


方位表
360度を12等分し、
北から東へ「子」・「丑」「寅」を十二支を配し、
陰陽道で、丑寅(うしとら)の方角を鬼門、
未申(ひつじさる)の方角を裏鬼門とし、
不吉な方角とした。


以津真天(いつまで)

また「鵺」以外にも、『太平記』巻第十二広有射怪鳥事に「以津真天」という怪鳥があらわれる。この怪鳥は「首は人のようで身体は蛇、嘴は曲がって歯並びは食い違って生えていて脚の毛爪は剣のようにするどかった」ということである。形の上では「蛇身鳥」と酷似しているといえるだろう。


うぶめ

また、「蛇身鳥」の物語想像にかかわったであろう妖怪怪物として考えられるのは、現在の静岡市にもその地名を残している「うぶめ」である。 うぶめ【産女・産婦】「産女(姑穫鳥)とも」難産で死んだ女が化したという幽霊。また想像上の怪鳥。血みどろの姿で産児を抱かせようとしたり、幼児に似た泣き声で夜間飛来して幼児に危害を加えようとしたりする。うぶめどり。(『日本国語大辞典』小学館)

「蛇身鳥」の話の中でも、女が子供をなくした悲しみに、その姿を変え村人を襲うくだりがあるが、この「うぶめ」も子供を得ることができず、不慮の死を遂げた女の亡霊が恨みつらみによって、その姿を怪鳥に変え子供たちを襲う。まことに子を思う母親の気持ちは強く、その未練がかくもおそろしい怪物に人を変えてしまうのである。


かるら

この他に、「迦桜羅または迦桜荼」、猛禽類が曲がった嘴と爪を持ち、胴体は人間で、蛇を常食にするというヒンドゥー教の神話にでてくる怪鳥がいる。この鳥は、仏教を守護するとして、日本でも絵画や仏像として寺社に奉納されているから、「蛇身鳥」をイメージするうえでなんらかのきっかけになったかもしれない。

現在に比べ、昔の夜の闇は深く、ましては普段とは違う旅の往来で、山中より聞こえる不思議な鳥の声や物音に人々はおびえたことは容易に想像できる。これまでに述べた古くより伝わるさまざまな話によって、怪鳥「蛇身鳥」は想像され、小夜の中山伝説となったのである。


妖怪


(社)中部建設協会発行「東海道小夜の中山」より

 

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