You are here: TOPPAGE 歴史探訪案内 昔ばなし 第21回 雨ふり坊主 [解説1]雨ふり坊主伝承の背景  

−せせらぎ長者解説1−
雨ふり坊主伝承の背景

地の神守護の元話から

 この昔ばなしでは、小坊主が雨の日の屋敷を守ってくれたとなっているが、『遠江古蹟図絵』(享和3年・1803)に記されている同屋敷の話では、『地神守護の家』として、屋敷の裏にある地の神が屋敷を守護しているとある。
「此地の神の名を昌安と號するよし、折々神靈現るる由なり。(中略)八太夫と起す聲にふつと目覺し見れば其の丈高さ八尺余りの大山伏緋の衣を着し」
小沢家の地の神は、山伏の姿をした八尺(身長2.4メートル)の大男で名を昌安と名乗り、八太夫の枕元に立った時に地の神が、「秋の刈り入れの頃に門前に稲を置いてあれば、雨が降ったときには門内に入れてやる」と語った−という。これは『図絵』の著者再影館藤長庚が、主人から直接聞いた話として記している。この昔ばなし『雨ふり坊主』は、雨が降ったときに稲を軒下に入れるというのが、伝えられるうちに坊主の話に変化してしまったものと思われる。

小沢家の地の神

『遠江古蹟図絵』地神守護の家 挿し絵

『図絵』によると、小沢家の地の神が現れたとき、ものを着ずに寝ていたのでは…と主人に布団をかけてくれたり、秋に門前に稲束を積みあげてあったときに雨が降り出したら山伏が現れて門の中に運んでくれたという。また、昔から同家に盗賊が入ると、神霊によって身体の動きがとれなくなったとも記されている。図得が著された当時の小沢家当主は、昔から地の神を奉っていて、その地の神が常に家を守ってくれていることを藤長庚に語っており、その信仰は深いようである。 地の神は、地域によって、ジガミ、チシン、ジシン、ジノカミなどと呼ばれ、地主荒神などと荒神と混合されているところもある。屋敷の一隅や周辺に小祠や塚を設けて祀られる。地の神の信仰は多様で、稲荷や荒神、先祖、武将や山伏などを祀った例もあり、地神盲僧や祈祷者が関与している場合もある。また、地の神は荒い神で、牛や馬をつないでおくと腹が痛くなるとか、田畑の害虫をよけてくれる神として、近隣の者が集まって祀る場合もあるという。地の神には土地や屋敷を守護する地主神的性格が強く、やがて死霊を浄める役割や田と天の去来伝承などを伴い、部落で講をするところもあるが、基本的には土地についた験力ある神である。
 小沢家の地の祖先が、『図絵』で主人が語るように室町あたりまで遡るとすれば、その民間信仰も時代を経るごとに宗教上の影響を受けていると考えられる。小沢家に隣接する長福寺は、開創当初は天台宗であったのが、後に曹洞宗に改宗するなど、波瀾の寺跡を重ね、宗門争いの舞台ともなっている。このことは、昔ばなしの地の神の姿が、山伏であったり小坊主であったりするのに、関係しているのかもしれない。

参考文献 『遠江古蹟図絵』解説神谷昌志 明文出版社
  『民間信仰辞典』桜井徳太郎著 東京堂出版
*画像 『遠江古蹟図絵』明文出版社

小沢家屋敷と長福寺

 

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