You are here: TOPPAGE 歴史探訪案内 昔ばなし 第21回 雨ふり坊主 [解説2]小沢家屋敷と長福寺  

−せせらぎ長者解説2−
小沢家屋敷と長福寺

長福寺との関係

長福寺Photo
長福寺(掛川市本郷)

小沢八太夫屋敷の北側に、曹洞宗の古刹長福寺があることが、この山伏の姿というのに関係しているようである。長福寺の山は行者山と呼ばれ、かつては修験の道場として全国の山伏たちがこの地へ修行に来ていた。『遠江古蹟図絵』神谷昌志氏の解説によれば、山伏が小沢氏の屋敷に宿泊したことも十分に考えられるとのことである。
この話の舞台となった小沢八太夫の旧家があった佐野郡本郷(ほんごう)村は、現在の掛川市本郷で西部に位置し、屋敷のあった場所は昭和40年頃まで原谷小学校があったところである。

史述に残された小沢家

『掛川誌稿』(文化2年・1802)に小沢氏に関する記述がある。「小沢氏 旧家にて久しく庄屋を相続せり、家譜及長福寺過去帳に、前遠州大守浄智禅門等の十二名あり、されど俗名及逝卒の年月を記さず、浄智禅門より、十三世を常慶庵主と云、文亀三年二月廿日死是を小沢氏の祖とす。遺物槍一本、柄長一丈余、穂長七寸三分、刀二腰」とある(文亀三年は室町時代、西暦1503年)。また、『遠江風土記傅』(寛政11・1799)佐野郡の項にも小沢家の名が登場している。本郷の城跡の記述に「本郷村小澤氏系譜に云ふ、佐野郡原田庄本郷邨は、原氏十代の城地なり、(中略)文明十五年春の日悉く没落す、是に於て原氏の後孫小澤八郎英永は、明應年中民間に降ると、」とある(明應は1492〜1500)。
 上記とは異なり、『図絵』には「古き家筋にして往古阿倍清明の縄張せし家と云傅ふ」とある。阿倍清明は平安時代の陰陽師で、諸国を巡回してまわり、遠州にもその足跡を残している。これも長福寺と関係する逸話かもしれないが、阿倍清明が卒したのが今からおよそ2千年前、八太夫の時代からも800年ほど遡るわけで、その説には多少の疑問が残る。しかし、過去帳に残された記述や、小学校は明治頃は小沢家の屋敷をそのまま使い、七つもあった蔵を物置として使用していたというから、小沢屋敷の規模の大きさがうかがえる。

参考文献 『掛川誌稿』翻刻発行 中村育男 静岡新聞社刊
  『遠江風土記傅』内山真龍著 歴史図書社
  『遠江古蹟図絵』解説神谷昌志 明文出版社

雨ふり坊主伝承の背景

 

昔ばなしのもくじ 雨ふり坊主 [解説1]雨ふり坊主伝承の背景 [解説2]小沢家屋敷と長福寺  

 

お気軽にご意見ご感想をお寄せください。

お茶街道文化会
主催:カワサキ機工株式会社