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[解説-1]
アゴ付御朱印のその後
高橋家に伝わる古文書
倉真最北端に「松葉牛の下」という地名があります。この松葉と旧五和村庄司との境の山に大きな黒い石があり、あたかも牛が寝ているような形をしているので昔から「牛石」と呼ばれています。この山から見降ろす一帯が牛の下で、治郎右衛門の昔話が残されているところです。 土地をめぐる争い 牛の下一部落の生活を支える田畑山は、その後治郎右衛門が病で亡くなって残された女房や幼少の世継ぎでは年貢納めその他の世話ができないということで、松葉部落の固めをする村世話人に一切を頼んで年を経たということです。当時は諸制度も整備されておらず、土地台帳なども無かったため、御朱印で認められた田畑山の所有権が明確を欠くようになってきて、世話人と牛の下部落民との間に意見の違いが起こり、高橋の家ではこの争いを江戸幕府に申し出、土地の所有を明らかにしてもらうため、御絵箋を所持して江戸へ出向いたのでした。 |
*参考文献 | 『ふる里かけがわ第2集』掛川市教育委員会 |
「牛石の由来」松浦弥三郎著部分
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