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[解説-2]
倉真地区の土地所有
封建時代の倉真「松葉一件」 日本の近代において、とりわけ農村集落などの共同体で問題となるのは、封建的な土地所有とそれに結びつく人間関係や社会関係が大きく影響している場合が多い。当時は農民にとって一番大切な土地の境がはっきりせず、農民同士の争い事も絶えず、川が反乱しても修理もできないという有り様でした。とくに倉真村松葉は特殊な支配関係が続いた農村集落で、支配に対する激しい農民運動が起こった地域でした。『アゴ付御朱印』
の昔ばなしは、このような松葉農民と支配者層との確執を表わしたものなのかもしれません。 倉真村は大きな村なので、上組と下組に分かれており、自治や年貢もその二つに分けられていました。高橋の家は松葉であったとありますが、北部に位置する松葉は位置的には上組に属するのに、管理は下組に飛び地的に属する集落で、下組山崎の平右衛門家が本在家として管理していました。そのため倉真の35〜40戸あったと思われる集落の人々は、この平衛門家に隷属する下百姓「柄在家(からざいけ)」という身分とされていました。江戸中期になると、松葉農民たちによる隷属からの脱却運動が起こります。松葉の農民たちは、年貢の軽減を要求したのではなく、平右衛門家を通さずに年貢を納める「一人前の百姓」になることを望んだのでした。天保(1830〜1843)後期にはピークに達し、平右衛門の古証文を持ち出して村役人に訴えるなどの活動をはじめ、一部の農民を柄在家から本家へ組み入れるなどの処置がとられました。 報徳社の前身
倉真の農民の訴えが発生したときには存在しませんでしたが、やがて江戸後期になり二宮尊徳の教えを学んだ案居院庄七と、倉真村乙星の財産家農民岡田左平治から報徳思想が掛川に芽生え、農民の活動に少なからず影響してきたようです。 |
*参考文献 | 『村落・報徳・地主制−日本近代の基底』 中村雄二郎/木村礎他著 東洋経済新報社 |
『郷土誌くらみ』倉真財産区
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