You are here: TOPPAGE 歴史探訪案内 昔ばなし 第23回 牛石のアゴ付御朱印  

昔ばなし

牛石のアゴ付御朱印  掛川市倉真地区

 東海道から倉真の方へ向かう山道を奥へ奥へと歩いて行くと、郡境近くの山を眺められる場所に出ます。その峠にちょうど牛が寝そべっているようなかっこうをしている石があって、村の衆はみな、『牛石』と呼んでいます。

  江戸は慶長の頃のこと。牛石の下の部落『牛の下』という所に、たいそう働き者の百姓がいて、名前は治右衛門といいました。
  あるとき、いつものように、牛石の峠の畑で仕事に精を出していると、何の用事で来られたか知らんが、権現様(徳川家康)が数人のお供を連れてやって来て、そのあたりで休息されたそうです。治郎右衛門の婆に目を止めた供の者が、
「これこれ、まことに相すまぬが、上様がお疲れになり、お茶を所望しておられる。茶を一煎用意してくれぬか。」
とことばをかけられました。治右衛門は、
「これは恐れ多いことでございます。今しばらくお待ちくださいませ。急いで持参いたしましょう。」
と言って早速家に帰り、お茶の支度をして上様に差しあげました。上様はことのほかご機嫌で、
「これはうまい。生き返った心地がする。褒美にこの牛石のあたりの土地をお前に与えよう。」
と言われ、「アゴ付け御朱印」と呼ばれた、アゴをノドに付けてその場所から見える限りの田畑山を与えるというご褒美を治郎右衛門に書付として下さいました。それであの牛石あたりの土地は治郎右衛門さんのものになったということです。

参考文献 『掛川のむかし話』掛川歴史教室

 

アゴ付御朱印のその後

倉真の土地問題と報徳社

 

昔ばなしのもくじ アゴ付御朱印 [解説-1]アゴ付御朱印のその後 [解説-2]倉真の土地問題と報徳社  

 

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