You are here: TOPPAGE 歴史探訪案内 昔ばなし 第3回 無間の鐘 無間の鐘考察  

無間の鐘 考察

 無間の鐘の話は夜泣き石とともに、遠州七不思議の一つとして有名である。江戸時代には『傾城無間之鐘(けいせいむげんのかね)』などの浄瑠璃に取り上げられ、また『東海道中膝栗毛』には「かの盛衰記の梅が枝が、無間の鐘の所作事」とあることから見て、広く世間に知られていったことがわかる。
 無間の鐘をつき、地獄に墜ちると、すべての食事が蛭に変わってしまうことから「女房の朝寝と無間の鐘は朝の御飯が昼(蛭)になる」とも歌われたりした。
 無間とは、この鐘をつき、この世で長者となる代償として、死後責め苦を受けるとされる無間地獄(むけんじごく)のことである。
 しかし、この無間の鐘を求める民衆には地獄の恐ろしさも通じないようで、金銭に目が眩み(くらみ)、今が幸せならば、死後、地獄に墜ちようともかまわないという姿が見受けられる。
 ここには、庶民の卑しくもあさましい姿を浮き彫りにすることで、人々に現実を直視させ、庶民にとって、地獄以上の地獄はこの現世であるかもしれないと思わせることによって、人々に仏を信じる心を起こさせる役割があるのではないだろうか。こうした話のかたちをとることにより、強く人々を信仰に導く力をもっているといえるだろう。
 しかし、快楽だけを追い求め、他を顧みない姿は何も昔に限った話ではない。無間の鐘は、現代でも、形を変えてわれわれの生活の中に数多く存在しているのではないだろうか。
 地中深く投げ込まれた無間の鐘は、われわれ現代人の心の中で今も警鐘をならし続けている。
東海道張交図会
東海道張交図会
島田・金谷・日坂 部分


● 『無間』とは

【無間地獄】
 むけんじごく(s)Avici(阿鼻と音写)の漢訳。八熱地獄の第八。また無救とも漢訳する。苦しみを受けることが絶え間がない(無間である)から、また楽の間じることがないから、無間と名付ける。はげしい苦しみの耐えない世界。極苦の地獄で七重の鉄城があって、銅が沸いて罪人をたき殺す。五逆罪の他に、大乗を誹謗(ひぼう)した者が墜ちる。(『佛教語大辞典』)


 地獄は地下の牢獄を意味する。世界のさまざまな宗教において、現世の罪悪を戒めるために、いろいろな形で地獄が存在している。無間地獄は地獄の中でも最も罪の重い者が墜ちる地獄であり、最下層に位置するとされている。
 平安時代の僧源信(げんしん)の記した『往生要集(おうじょうようしゅう)』は地獄について詳細に述べた書物であるが、その内容は厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごくぐじょうど)、極楽証拠、正修念仏、助念方法、別時念仏、念仏利益、念仏証拠、往生諸行(おうじょうしょぎょう)、問答料簡の十章からなっている。第一章の厭離穢土において、それ以前に語られてきた地獄の諸相を、源信は八大地獄として等活(とうかつ)・黒縄(こくじょう)・衆合(しゅうごう)・叫歓(きょうかん)・大叫歓・焦熱(しょうねつ)・大焦熱・阿鼻(無間)と系統的にまとめ、地獄の恐ろしさを筆致を高め記している。
 のちに、この地獄は絵画化され寺社の説法や絵説きで地獄の恐ろしさが庶民に伝わっていったのである。そして庶民は、死後、地獄において責め苦を受けないように日常の生活を戒め、あるものは宗教へと救いを求めたのである。

源信 九四二〜一〇一七
平安時代の僧で、日本浄土教の基礎を築く。恵信僧都ともいう。

(社)中部建設協会「東海道小夜の中山」より


 

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