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おへそ山と雨乞いに関する考察
おへそ山の現在
おへそ山は、掛川バイパスを掛川市街から東に向かい、千羽インターチェンジを北側に降りて左手に進むと、企業の工場が立ち並ぶ東部工業団地に入る。その道を800メートルほど進むと左手にある安養寺運動公園の中にある。現在は、よく子どもたちが遠足で訪れ、市民に親しまれている場所である。
この「おへそ山」の地には、もうひとつの昔ばなしと関係した痕跡がある。第二話『蛇身鳥物語』のその後に紹介した、月小夜の娘小石姫が生んだ女の子の話である。この娘が、蛇身鳥一族の話を悲しみ首をつった松の木が二本松と呼ばれ、五百年もたって松くい虫で太い幹だけとなり、今もこの公園内にある。
様々な雨乞いの風習
雨は農耕に大きな影響を与えたばかりでなく、命にかかわる貴重な水源でもある。雨乞いは、古代から行なわれてきた重要な神事のひとつであった。『拾遺』42に雨乞いの事例がある。六角牛山、石上山などの高山に登り、「千駄木」を焚いて祈る。これは天に近い場所で木を焚くことにより神が雨を降らせるというもので、「駄」は馬1頭が背負う荷物の重さをいう。この他滝壷に馬の骨を投げ入れ、そのケガレで雨を降らせることが記録されている。
雨乞いの対象は竜神、竜王とされるのが一般的だが、地域によっては聖域とされる沼や池、淵などの主である竜、大蛇、牛、鯉であることも多い。また、その聖域にはタブーや約束ごとが必ずあり、かき回したり、汚されると主が怒り、その怒りの力で雨を降らせると信じられていた。全国で行なわれている雨乞いの典型的なものとしては、日時を決め雨乞いの祈願のため“お籠り”をする、山上で「千駄焚」をする、蓑笠をつけ草履を履いた装束で踊りを踊ったり、鉦や太鼓を打ち鳴らして騒ぐ事もあるが、これは地上で大騒ぎをすると天気が変わるとされるためである。また、雨乞いのときに淵や池に寺の鐘を沈めるところもあり、水をつかさどる水神と鐘の関係は、全国に分布する沈鐘(ちんしょう)伝説と結びつけて考えるとおもしろい。現在、印徳寺跡には公民館が建てられ残されていないが、雨乞いに使われてきた“おへそ”は、桧の厨子にかぎを掛けて大切にしまわれている。昭和23年に日照りがあり、雨乞いをしたのが最後だったといわれ、近年までこの雨乞いの風習は残されていたことになる。
※参項文献 ●遠野物語小辞典 ぎょうせい ●掛川のむかし話 掛川歴史教室 |
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