昔、遠州地方をまたにかけて、荒らしまわっていた日本左衛門という大盗賊がいました。 金谷の宿の生まれで名を友五郎といい、大変利口ですばしっこい子供でしたので、
「友五郎は、将来大物になるに違いない。」と、父親は末を楽しみにしておりました。
ところが、両親があまりにも甘やかし過ぎたので、大きくなるにつれ乱暴者になり、十五、六才の頃には、手下を連れて、あちらこちらの金持ちの家に押し入る盗賊の頭になっていました。
あるとき、手下が日本左衛門に言いました。
「お頭、掛川の在の鳥居町という所に、せせらぎ長者という、金持の家を見つけたぜ、ケチで相当に貯めこんでいるという話だぜ。」
「そうか、そりゃあいい、嫌われ者の金持が俺らの狙うところだ。」
月の終わりの闇夜を選び、せせらぎ長者の屋敷に押し入ったのです。千両箱や着物を奪い、美しい嫁さんまでさらって行こうとしたので、せせらぎ長者は大声でどなりました。
「やい、泥棒、嫁まで盗むな。」 と、しがみついたので、さすがの友五郎も手をゆるめたその隙に嫁はするりと逃げました。
翌日、長者は掛川城主に、昨夜のことを話し、盗賊退治を願い出ました。次の日も次の日も願い出ました。
「藩への用達をしぶっている程だ、千両箱がある筈がない。」 と、なかなかお取りあげになりませんでした。
長者は仕方なく妻の在所に相談に行き、こうこうしかじかと今迄の話をしました。妻の在所は浜北の庄屋様でした。 「掛川のお殿様に不義理があったのでは、お取りあげ下さらないのも当然じゃ、仕方ない、奥の手を使わなければ。」
と、庄屋は江戸表の南町奉行所へ訴え出ました。 ようやく願いは聞き入れられて、大勢の捕方が江戸からやって来ました。 「何だろう。御用ちょうちんで金谷、掛川、袋井は、いっぱいだ。」
「大泥棒の日本左衛門を捕らえにきたそうだに。」 「すごい捕方だねえ、これじゃあ、猫の子一匹逃げられないよねえ。」 そして日本左衛門の一味はとうとう捕まりましたが、日本左衛門だけは、いち早く姿をくらませてしまいました。
「日本左衛門の居場所を教えよ。」 と、責められている手下の様子を知った日本左衛門は、見るに見かねて、京都奉行所に名乗り出ました。後、町内引き廻しの上、打ち首になりました。
せせらぎの長者は日本左衛門の捕えられた事を聞き、ほっとしました。しかし義賊に入られたという事で、大変肩身の狭い思いをしたので、以後は人助けに励んだという事です。
掛川城主も盗賊取締が出来なかったという事で、奥州の小さな城主に国替えになったという事です。
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