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小夜の中山公園から2kmほど西。茶園が広がるゆるやかな坂道を過ぎて峠も終わりにさしかかろうとするあたりに、小さな沓掛の集落があらわれます。街道の南側には沓掛稲荷があり、古くからの集落であることがうかがわれます。 沓掛の集落を過ぎると急カーブの下り坂となり、ここを「沓掛坂」または「二の曲り」と呼びます。沓掛の急勾配は、東の青木坂とならんで小夜の中山峠を越える旅人を悩ませました。
※『遠淡海地志』に「沓掛坂」とあり、『掛川誌稿』には「二の曲り」とあります。 |
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沓掛坂の二つ目のカーブに「日乃坂神社」があります。日乃坂神社は峠の西にある事任八幡宮のお旅所で、大祭の神輿渡御の際に神様が宿泊したところです。昔の神輿渡御は、山の上にある本宮から現在の社殿がある御仮屋へ行列が進み、氏子の要所をまわって日乃坂神社まで来て夜を迎えました。
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二の曲りから200mほど下ったところは旧坂口町にあたります。山側に柵で囲われた部分は、江戸時代のものとみられる石垣と水路跡で、このあたりに集落があったことが伺えます。 |
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この絵碑は、日坂町おこしで旅の演出のために建立されたもので、小夜の中山の絵碑とともに東海道を旅する人々に昔の駅路をイメージさせてくれます。浮世絵は、広重が「宝永堂版東海道五拾三次」(天保三年・1832)以降出版したシリーズのひとつ「狂歌入東海道」(天保十三年(1842)頃)で描かれた日坂の風景です。狂歌は倭園琴桜の歌です。
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