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日坂の問屋場は、本陣から50mほど西の街道北側にありました。跡地にあたる民家に「問屋場跡」を示す案内板があります。宿場で人馬の継立や御用旅宿の手配をはじめとする業務を行う所を問屋場といい、宿役人の長が問屋と呼ばれていました。問屋場は幕府公用の品物や書状を運ぶ飛脚業務もしており、人足の指図や荷物の割り振りをする賑やかな所が想像されます。
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本陣から50mほど西にある末広亭池田屋は、昔の佇まいを再現した旅籠の佇まい。街道に面した窓には格子、藍で染め抜いたのれん、入口には旅人がわらじを脱ぐ三和土(たたき)が設けられ、多くの旅人が訪れた昔の雰囲気を滲ませています。 |
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本陣跡から100mほど先の右手には、かつて大須賀鬼卵が居住していた地を示す「木蘭屋」の木札が掲げられています。鬼卵は画や連歌狂歌をたしなむ文人で、各地の著名人情報をまとめた著作『東海道人物志』が有名です。晩年60歳で日坂に移り住み、ここで画をしたためながら「たばこ屋木蘭屋」を営みました。
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