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東海道歴史年表
時 代
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年 号
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西 暦
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で き ご と
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奈良時代 | 白雉四年 | 653 | 大道修治。 | |
大宝元年 | 701 | 「大宝令」発令。 | ||
延暦十九年 | 800 | 富士山噴火。 | ||
大同二年 | 807 | 坂上田村麿呂 事任八幡宮を遷宮したという。 | ||
承和二年 | 835 | 東海、東山両道に浮橋および布施屋をつくり、水駅には渡船をおいた。 このとき、大井川には渡船二艘増設し四艘とした。(『三代格』) |
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平安時代 | 承和七年 | 840 | 駿河国駿河郡永蔵駅を伊豆国田方郡に移した。(『続日本後紀』) | |
延喜五年 | 905 | 『古今和歌集』に「さやの中山」の歌が二首ある。 | ||
延長五年 | 927 | 『延喜式』に己等乃麻知神社、阿波々神社の記録。 | ||
寛弘元年 | 1004 | 『枕草子』に「ことのまま明神」とある。 | ||
文治二年 | 1186 | 焼失した東大寺の再建勧進のため平泉に向かう西行法師が、 小夜の中山で歌を詠む。(『新古今和歌集』『吾妻鏡』) |
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建久元年 | 1190 | 10月 源頼朝 京へ上る折菊川宿に泊まる。(『吾妻鏡』) | ||
承元元年 | 1207 | 源頼朝、中山の歌二首を詠む。(『金槐和歌集』) | ||
鎌倉時代 | 承久三年 | 1221 | 詩人中御門前中納言藤原宗行 鎌倉へ送られる途中菊川で漢詩をつくる。(『吾妻鏡』) | |
弘安二年 | 1279 | 『十六夜日記』に東海道のようすを描写している。 | ||
永仁四年 | 1296 | 菊川に接待所をつくった。(日本最古の記録/平田寺 伏見天皇綸旨) | ||
南北朝時代 | 建武二年 | 1335 | 中先代の乱で鎧塚に名越太郎邦時の鎧を納める。 | |
室町時代 | 文明二年 | 1470 | 今川氏、朝比奈氏に掛川古城をつくらせる。 | |
文明五年 | 1473 | 将軍足利義政の命で今川義忠掛川城を築城。 | ||
永正十年頃 | 1513 | 朝比奈氏掛川新城を築く。 | ||
戦国時代 | 天文十七年 | 1548 | 今川軍、掛川に陣をとる。 | |
(室町時代後期) | 永録十一年 | 1568 | 家康、信玄が駿河遠江の今川に攻撃を開始。 | |
永録十二年 | 1569 | 徳川家康、掛川城を開城。 | ||
天正三年 | 1575 | 家康、諏訪原城をおとし、牧野城とあらためる。 | ||
天正十年 | 1582 | 織田信長、武田氏を滅ぼし菊川、小夜の中山の茶屋で休み、日坂に出る。 | ||
安土桃山時代 | 天正十八年 | 1590 | 家康、江戸城に移り、掛川に山内一豊が入城。 | |
天正十八年 | 1590 | 「天正の瀬替え」中村一氏、大井川の流れを変える。 | ||
文録〜慶長初年 | 1592 | 1598 | 山内一豊掛川城を整備。 | |
慶長五年 | 1600 | 関ヶ原合戦後、上京する家康を久遠寺茶亭にて山内一豊が歓待。 | ||
慶長六年 | 1601 | 家康 江戸〜京都間東海道の宿制定。 | ||
慶長六年 | 1601 | 伝馬朱印状、伝馬定書を下す。 | ||
慶長八年 | 1603 | 東海道松並木、一里塚整備される(『徳川実記』)。 | ||
慶長九年 | 1604 | 掛川城天守閣、地震のため倒壊。 | ||
元和二年 | 1616 | 石薬師宿(袋井)新設。 | ||
江戸時代 | 元和四年 | 1618 | 箱根宿新設。 | |
寛永元年 | 1624 | 庄野宿設定により東海道五十三次がそろう。 | ||
寛永十一年 | 1634 | 徳川家光上洛 駿府城主徳川忠長、大井川に橋を架け家光の怒りを受ける。 | ||
寛永十五年 | 1638 | 各宿常備人馬数百人百疋に拡充。 | ||
寛永十五年 | 1638 | 浜松、掛川、府中で助馬村を定め、村から馬を提供。 | ||
萬治元年 | 1658 | 浅井了意『東海道名所記』記す。 | ||
延宝八年 | 1680 | 箱根石畳完成。 | ||
貞享元年 | 1684 | 松尾芭蕉、金谷や中山で句をつくる。(『野ざらし紀行』) | ||
貞享二年 | 1685 | 貝原益軒、東海道を描写。(『吾妻路の記』) | ||
元禄三年 | 1690 | 掛川 下俣、新町焼失。 | ||
元禄 | 1690 | 1700 | 第一次東海道ブーム | |
元禄三年 | 1690 | ドイツ人博物学者ケンペル来日、東海道を往復。 | ||
元禄七年 | 1694 | 各宿に統一的助郷を付属。 | ||
元禄八年 | 1695 | 大量の金銀貨が発行され庶民にも通用するようになる。 | ||
元禄八年 | 1695 | 菱川師宣『東海道分間絵図』を記す。 | ||
元禄八年 | 1695 | 旅行案内書『道中記』出版される。 | ||
宝永四年 | 1707 | 宝永大地震。 | ||
享保十年 | 1725 | 助郷制度拡充。 | ||
享保十六年 | 1731 | 掛川新町大火。 | ||
延享三年 | 1746 | 『東海道巡覧記』記される。 | ||
宝暦七年 | 1757 | 掛川十九宿大火。 | ||
天明二年 | 1782 | 天明大地震。 | ||
寛政九年 | 1790 | 旅行案内書『東海道名所図絵』発行される。 | ||
寛政十年 | 1798 | 4月 オランダ人貿易商人ゲイズベルト・ヘンミイ掛川にて病死。 | ||
寛政十二年 | 1800 | 木食五行上人岡部宿に滞在 六体の仏像を残す。 | ||
享和二年 | 1802 | 十辺舎一九『東海道中膝栗毛』を出版。第二次東海道ブーム | ||
享和三年 | 1803 | 大須賀鬼卵『東海道人物誌』記す。 | ||
享和三年 | 1803 | 兵藤庄右衛門『遠江古蹟図絵』を記す。 | ||
文化元年 | 1804 | 掛川大火。 | ||
文政六年 | 1823 | ドイツ人医師シーボルト来日。 | ||
文政十三年 | 1830 | 「おかげ参り」が全国的に流行。500万人ちかくが参宮に出かけた。 | ||
天保四年 | 1833 | 歌川広重『宝永堂版 東海道五十三次』出版。 | ||
天保五年 | 1834 | 日坂宿大火。 | ||
天保十四年 | 1843 | 『宿村大概帳』記される。 | ||
嘉永二年 | 1849 | 三代目尾上菊五郎 掛川で興行中中町捻金屋方で死去。 | ||
安政元年 | 1854 | 安政大地震 掛川城天守閣倒壊。 | ||
万延元年 | 1860 | 太田資愛 掛川城内に教養館を開く。 | ||
明治元年 | 1868 | 10月4日明治天皇東幸 金谷宿を通る。 | ||
明治五年 | 1872 | 掛川連尺町大火。 | ||
明治五年 | 1872 | 8月 伝馬所と助郷廃止。 | ||
明治九年 | 1876 | 掛川中町大火 130戸焼失。 | ||
明治十一年 | 1878 | 金谷宿大火 表通り南側が焼失。 | ||
明治十三年 | 1880 | 新国道(1号線)開通。 | ||
明治二十二年 | 1889 | 7月 国鉄東海道本線、新橋・神戸間開通。 | ||
大正八年 | 1919 | 道路法公布。 | ||
昭和二年 | 1927 | 大井川鉄道、金谷〜横岡開通。 | ||
昭和七年 | 1932 | 日坂小夜の中山隧道開通。 | ||
昭和三十年 | 1955 | 日坂村、東山村、掛川市に合併。(佐夜鹿の一部は金谷町に合併) | ||
昭和四十一年 | 1966 | 小夜の中山トンネル開通。 | ||
平成四年 | 1992 | 金谷の石畳復元される。 | ||
平成六年 | 1994 |
掛川城天守閣が全国で初めて木造によって復元される。
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