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掛川城
掛川城
よみがえった掛川城
JR掛川駅から北へ歩いて約10分。地元住民の願いがかなって、みごとに復活した掛川城の天守閣が見えてきます。戦国時代に築城され、16世紀末に「内助の功」で知られる山内一豊によって天守閣が建立された掛川城でしたが、19世紀の大地震により天守閣など城の主要部分が大破し、近年にいたっていました。しかし掛川城の復活を望む、市民や法人からの募金により、1994年に再建されました。まさに地元の熱意の賜物です。その費用は、なんと10億円。全国初の試みとして本格木造によってよみがえった三層四階の威風堂々とした構えが、東海の名城とうたわれた、往時の面影を平成の世に伝えています。
掛川城内
室町から江戸へ
掛川城は室町時代からの歴史を伝える平山城で、文明5年(1473)ころ、今川義忠が築かせたと伝えられています。後に徳川家康が激しい合戦の末に奪い、天正18年(1590)には豊臣秀吉の家臣、山内一豊公が城主となりました。この山内公により天守閣が設けられ、市街地全域を外堀の中におさめた城下町の体裁が整えられました。この後、江戸時代初期には、将軍、大御所の御泊城となり、末期には江戸城を築いた太田道灌の子孫の居城となりました。現在の市章、市の花のキキョウは、この太田氏の家紋に由来するものです。
数々の歴史の舞台となった掛川城。
掛川城二の丸御殿内部
掛川城最古の貴重な建築物「二の丸御殿」
二の丸御殿は嘉永7年(1854)の大地震の後に建造されたもので、掛川城最古の建築物として知られています。当時は、城主の居所や藩の政庁、諸役所の機能を合わせた役割を果たしました。現存する城郭御殿として、全国的にも貴重な建築物で、昭和55年(1980)には国の重要文化財の指定を受けました。平成によみがえった天守閣とともに、掛川城のシンボル的存在として親しまれています。
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