You are here: TOPPAGE 古今旅集案内 名所図絵 栄西禅師  

栄西禅師





牧の原公園 栄西禅師像

日本のお茶文化のルーツ

栄西禅師は日本にお茶の種をもちかえり(1191年)、茶栽培の基礎を築いた人として有名です。またその著書『喫茶養生記』でも、お茶のすばらしさを説き茶の普及に努めました。当地の茶栽培とも深い関係があります。「茶は養生の仙薬なり、延命の妙術なり」。禅師の言葉は、近年の科学的な研究においても、その実例がさまざまに報告されるほど卓見。この禅師の功績を称え、往時をしのんで立てられた像が、牧ノ原公園の高台に静かにたたずんでいます。








中條景昭肖像
(社)中部建設協会発行「東海道小夜の中山」より

牧ノ原の生みの親は「士族と川越え人足」

牧ノ原大茶園が誕生するきっかけとなったのは、明治維新の大政奉還。このため職を失った慶喜公とともに駿府へ下った、中条景昭を頭とする武士たちが、勝海舟の助言を受けて牧ノ原の開墾にあたりました。「横浜、長崎開港により、生糸と並んで茶は有望な輸出品となり、大きな産業に発展する」。こうした読みがみごとあたり、のちに川越え人足も加わって広がり、日本一広大な茶園が生まれました。大茶園の一角には、この中条景昭の功績を称えた像が立ち、いまも大茶園を見守っています。








(社)静岡県茶業会議所

海の向こうの日本茶ブーム

いまではあまり知られていませんが、明治時代の一時期、お茶は日本の輸出品として、生糸とならぶ大きな存在となっていました。西洋人に日本茶の味がわかるのか?そんな疑問もわいてくるでしょう。東洋の国の神秘の飲み物…。嗜好品というよりは、薬というイメージで受け入れられたようですが、事情はともあれ、海外で一大ブームを巻き起こしたのは事実です。

 

お気軽にご意見ご感想をお寄せください。

お茶街道文化会
主催:カワサキ機工株式会社