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地名のお話

第2回 『遠い淡海の国−とおとうみ−』2

2.万葉集にみる「とふつあふみ」

 万葉集で遠江を歌ったと思われる歌は、18〜21首あり(*2)、それらは、国司としてこの地に在任した官人が詠んだ歌や、東国への旅の途中で詠んだ歌などで、いずれの歌にもいにしえの人々の思いがこめられている。

  遠江 引佐細江の
澪標 吾を頼めて
あさましものを

等保都安布美 伊奈佐保曾江乃
水乎都久思 安禮乎多能米テ
安佐麻之物能乎
 
[14-3429 東歌 譬喩歌]
 
 
「遠江の引佐細江のみをつくし(水路の目印の竿)のように、私を信頼させて、逢ってくださればいいのに(逢ってくれないのね)。」という女の恨み言を土地の風景に懸けて詠んだ歌である。この歌の原書で遠江を「等保都安布美」とある。また、別の歌では、
  遠江 白羽の磯と
尓閇の浦と あひてしあらば
言も通はむ

等倍多保美 志留波乃伊宗等
閇乃宇良等 安比テ之阿良婆
己等母加由波牟

 
[20-4324 防人歌]
 
 
「故國遠江の白羽(しるは)の磯と尓閇(にへ)の浦とが隣合っているように、家族のいる故郷とこの地が隔たっていなければ、心で思うだけでなく便りもできるものを。」遠い地へ単身赴任させたれた防人が、家族と離れて暮らす寂しさを詠んだ歌である。この歌では、遠江のことを「等倍多保美」と記している。
これらの歌が詠まれた年代を明確にすることは難しいが、おおよそ天武(673)から孝謙(755)ごろの作といわれる。時代を隔てた歌であることや方言や訛りを考えると、「遠江」の万葉文字使いについて考察することは今のところ難しい。ただし、万葉当時の遠江国は、律令国家制が強化されていく中にあって、駿河国とともに強国の等級におかれており、人口と物資の豊かさにおいては全国でも有数であった。このことは、ヤマトの人々が遠淡海にもつイメージについて考えるときに、ひとつの重要な要素と考えたい。
 
 東海道はその昔ウミツミチと呼ばれ、政治の中心地であったヤマトからアヅマへ通じる道のひとつであり、多くの山と、いくつもの大きな川で隔てられた道のりを、さまざまな人が通っていた。そして、その風景や往時の心を歌にのせ、美しく伝えている。

 

註*2:『万葉集駿遠豆 論考と評釈』より

 

参考文献 『万葉集駿遠豆 論考と評釈』風間書房
  『掛川誌稿 全』静岡新聞社

遠い淡海の国−とおとうみ−

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